南海化学100年史


独創の軌跡

第7章 挑 戦 平成3年〜(1991年〜)

平成3年をピークに、国内景気は下降線をたどっていった。いわゆる「バブル崩壊」である。そして、デフレ時代に入り、南海化学も従来のような経営を維持することは、困難な事態に陥った。

 

こうした状況の中、平成2年、取締役社長に就任していた島田廉夫は、新たに「ビッグリストラ・プラン」を策定した。これは「抜本的な発想の転換により工場の製造方法や営業のあり方まですべて変革し、21世紀に生き残れる企業への変身」を目指すものであった。 

 


平成8年からは、さらなる経営体質の強化を目指し、「レインボーブリッジ・プラン」に取り組んだ。その内容は「全製品の採算を最重視するとともに、顧客の立場に立った品質の良い製品を提供するモノづくりの基本を徹底し、各事業所が採算性を追求して、21世紀へ生き残れる企業へ変身する」というものであった。

 

 

 


平成12年6月に池田和夫が社長に就任し、平成13年には、新5カ年計画「サンライズプラン」をスタートさせた。これは「新世紀を迎え、今までの“事業の選択と集中”をさらに一歩スピードを上げて変革進化させ、より輝くアクティブな成長企業へ躍進していく」ことを活動の骨子としたもので、「より強固な、より輝くアクティブな企業」を合言葉に、目標を設定。未来に向けての戦略的な「営業拠点の拡大」「分社化」や「M&A」も展開している。

 


過去にも増して精力的なアクションを推進することで、各部門はもとより南海化学グループとしても収益改善に大きな成果を得ることができたのである。

 

 

 

 

 

 


紀州綿ネルと土佐和紙という地場産業の市場ニーズとソーダ、晒粉そして硫酸製造技術というシーズをベースに、幾多の事業環境の変化や困難を乗り越え、適応し、生まれ育ってきた南海化学。

 

 

 


小泉米蔵をはじめとする先人たちの築いた100年の礎を再認識し、私たちは更なる飛躍を目指して、新たな時代の変化に適応し、中山製鋼所グループの一員として、地元及び顧客の皆様方の信頼を基盤に、企業価値を高め、アグレッシブに南海化学の未来をクリエイトしてまいります。